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数学の「点」、芸術の「点」、だいちの星座の「点」

数学(ユークリッド原論)的な理解によれば、点には位置があるが部分はありません。一方で、私たちは「だいちの星座」の活動で地上に多くの点を描いてきましたが、それらの点は「それ以上細かく分けて使わないもの」または「長さや重さ、体積を持たない位置」といった数学的な意味に限定されていません。「だいちの星座」で描かれた点を良く見ると四角形や十字形、流星形など様々な形を発見することが出来、描かれた点には部分があると言えます。

芸術における点の部分は、美術分野においては筆の先で描かれたキャンヴァス上の絵の具、音楽分野においては五線譜の音符にも見ることが出来ます。キャンヴァス上の絵の具を拡大して見れば、そこに色の広がる面積と形に加え厚みや光の反射など様々な「部分」を見ることが出来ますし、音符で指示された音階を複数の楽器で鳴らすと空気の振動の仕方が異なる様々な音色が聞こえ、やはり音符にも「部分」が隠れていることがわかります。

従来、芸術における点とは局所的な事象の表現を指す便宜的な呼称であったように思います。ある絵画上の点は青く渦巻く不穏な夜空を構成し、ある映画では一発の銃声が全体を支配しました。点と認識されてきた作品内の局所的な事象は、人の感性が基準となっていることが多く、点として言語化出来るその先には言語化が困難なほど微細な面積や形、伝搬する空気の振動等の変化が複雑に重なった世界が続いています。

私達は、高高度の視点を利用することで芸術作品における点の成り立ちを分析したいと考えています。大規模な地上絵制作において描かれる点の特異性を観察することで得られる知見を利用して、机の上やキャンヴァス上に描かれた点や音符が奏でられる瞬間に何が起こっているのかについて再発見することを目指しています。だいちの星座で描く「星」は地上に配置した電波反射器やアルミ蒸着シートを纏った人そのものが反射した電波を人工衛星が捉えた「部分」が集まって記録されたデータです。また、アンテナを用いて人工衛星からの電波を受信する20秒ほどの時間を共有する体験もまた点を記録するプロセスに現れる部分によって成立しています。私達はだいちの星座を通じて芸術における点が位置と共に部分を備えていることを示すと共に、数学的な理論(つまり部分を持たない点の理論)によって構築された地球観測システムによって点を描いています。私達は参加者らと共にだいちの星座の活動を通じて、数学の「点」と芸術の「点」の違いを内包した新たな点の発見を試みます。

通信衛星と芸術

1967年6月25日、世界初の国際テレビ中継放送番組「われらの世界」(Our World)が24ヵ国で放送されました。この番組はイギリスBBCが中心となり、4つの通信衛星(Intelsat1,2-2,2-3, ATS-1)を利用し、5大陸14の放送局が協力(日本からはNHKが参加)して制作されています。注目すべきは、人工衛星を利用した国際的な放送の初の試みに、20世紀を代表する多くのアーティストが出演している点です。パブロ・ピカソマリア・カラスのほか、ビートルズがアルバム録音中のスタジオで当時未発表だった新曲「All You Need Is Love」を演奏しています。この番組の後、70年代の「カウンター カルチャー」の世界的な広がりもまた、60年代後半から70年代にかけて次々に実用化された人工衛星、とりわけ通信衛星に支えられてきました。

1984年1月1日にはナムジュン・パイクが2国間同時テレビ中継によってパリ、ニューヨークを結び、出演するアーティストらが映像を介してセッションするプログラム「Good Morning Mr.Orwell」が放送されました。歴史や地域性、人種や性別などを頼りに社会を構造化する動きに批判的なアーティストが出演しています(日本では同年年末に再編集されたものが放送されています)。

テレビ局が多国間で映像等の情報が送受信されはじめた1963年以降、通信衛星を利用したテレビ放送はビートルズらアーティストのグローバル化に一役買ったと言えるでしょう。一方で1984年には、かつてジョージ・オーウェルが書いた小説「1984」に注目していたナムジュンパイクは、2国間同時中継技術を利用し、視聴者にとって受動的で固定化されたコンテンツの配付に留まっていた当時のマスメディア的テレビ放送のあり方に一石を投じました。同作品は、相互通信機能を伴う現在の映像配信インフラの発展に影響を与えたと言われています。

60年代以降、芸術文化と通信衛星を利用した映像配信インフラの間には相互の密接な関係を見ることができます。直接放送衛星を含む通信衛星と映像芸術の関係は、科学が芸術・文化を後押ししつつ芸術も科学と共に歩むための提案を行う等、芸術と科学が同じフィールドで活動している様がその変遷に現れています。

 

参考:

NHK 映像の世紀プレミアム 第1集「世界を震わせた芸術家たち」(2016年5月放送)

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3681/2899040/

 

武蔵野美術大学美術館・図書館 イメージライブラリー所蔵 映像データベース

http://img-lib.musabi.ac.jp/search/index.php?app=sakuhin&mode=edit&data_id=5780

 

 

 

合成開口レーダで絵を描く (2)合成開口レーダはどう見えるか?

前回(合成開口レーダで絵を描く (1)なぜ合成開口レーダか?)の続きです。

「だいちの星座」では、衛星「だいち2号」で地上絵を撮影しますが、電波によって撮影する合成開口レーダを用いるため、その特殊な画像の性質をよく理解し、効果的にその画像に写りこみ、地上絵を描けるようになることは「だいちの星座」の重要なプロセスでした。ここでは、合成開口レーダ画像が通常の(光学)衛星画像とどのように違うのかを美術表現に近い観点から考えるため、過去の様々な芸術作品を「だいち2号」の合成開口レーダで見てみます。

以下、合成開口レーダをSAR(Synthetic Aperture Radar)と略記します。

 

Robert Smithson(ロバート・スミッソン) “Spiral Jetty”(1970年)

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(左が「だいち」による光学衛星画像、右が「だいち2号」によるSAR画像)

ランド・アートで知られる米国の現代美術家の代表作で、湖に渦巻き状の地形が作られ、歩いて渡ることができます。SAR画像では表面の凹凸が多いところほど明るく見え、凹凸が少ないところは暗く見えます。現地産の岩石を運び込んで作られたこの作品は、凹凸が多いために、光学衛星写真と同じようにSARでもその形状を見ることができます。水面は凹凸が少ないために暗く見えます。

 

Christo and Jeanne-Claude(クリストとジャンヌ=クロード) “The Floating Piers”(2016年)

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(いずれも「だいち2号」のSAR画像。左が作品設置前、右が作品設置後)

1991年に茨城県を会場の1つとして大規模な「アンブレラ・プロジェクト」を実施したことで日本でも知られている作家ですが、その当時のSAR画像には良いものがないため、同じ作家の最近の作品を見ることにします。湖の島に渡れる道を一時的に作ったこの作品では、光学衛星写真による撮影も行われましたhttp://www.thefloatingpiers.com/fabric-installation より)。この作家は彩度の高い明瞭な色をしばしば用いており、この作品はオレンジ色でしたが、電波の強度を白黒で表すSAR画像には色はありません。よって、SAR画像に写りこむために、通常の色彩の概念は使えないことが分かります。

 

Walter de Maria(ウォルター・デ・マリア) “The Lightning Field”(1977年)

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(だいち2号のSAR画像)

これは光学衛星画像には写らないが、SAR画像には写るという興味深い例です。広大な土地にステンレス棒が等間隔に立ち並ぶこの作品は、単純に上から見たときには直径数cmの棒の断面があるにすぎず、小さすぎて現在の光学衛星の解像力では視認できません。しかし、SARでは解像度3m(標準的な観測モードの場合)の「だいち2号」であっても棒の位置に点像が写ります。これは金属棒が地面と作用し衛星からの電波を反射させているためです。このことは、電波の反射に適した素材や形のものを設置すれば、それが小さいものでもSAR画像に写りこめることを示しています。なお、この作品では、地形の起伏に関わらず棒の上端の高さが揃うように各棒の長さが調整されています。これには雷がいずれの棒にも均等な確率で落ちるようにする作家の狙いがあります。SAR画像で写っている点の明るさがまちまちなのは棒の長さの違いによる(長いほど明るい)と考えられます。

 

イサム・ノグチ「ガラスのピラミッド」(モエレ沼公園

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(いずれも「だいち2号」のSAR画像。左が西側から、右が東側からの撮影。図中の矢印等は筆者が描きこんだもの)

先のウォルター・デ・マリアの例では、個々のステンレス棒はどの方角から見ても形状が変わらない直立の棒でしたが、これは見る方角に対して形状が非対称なものをSARで見た例です。多くのSAR衛星は地球を南北に周回しながら横方向、すなわち東西どちらかの方向を撮影する(SARは原理的に衛星直下付近の観測は不可)ため、SAR画像が取得されるときは、東の上空から撮影される場合と、西の上空から撮影される場合の、大まかに2種類のケースがあります。それぞれの場合について、モエレ沼公園内のガラスのピラミッドを見ると、三角形と四角形が複合した非対称な形状であるこの建築は、西側から撮影したときにまばゆい光を放ちました。このことから、同じ物体でもSAR画像に効果的に写りこむには適切な方角があることが分かります。

 

「だいちの星座 ― かなざわ座」より「かがやき星団」(2015年)

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(いずれも「だいち2号」のSAR画像。左が制作前、右が制作時の画像)
※このSAR画像は作品化する前のオリジナルの画像であり、過去の撮影画像との差異から地上に設置した反射器を星のように抽出する最終的な作品のグラフィックとは異なります。

ここまで紹介してきた作品はSARで撮影することを意図したものではありませんが、最後に、SARで撮影することを前提に制作された「だいちの星座」の例を示します。これは、SARの画像に写りやすいコーナー反射鏡(CR)を多数(23器)設置したもので、CRの詳細な説明は他項に譲りますが、これまで説明したSARの画像の性質を生かしたものになっています。すなわち、衛星からの電波をもとの方向に反射しやすい形状や、サイズ、材質を採用しています。また、設置する方角も正しく考慮しています。設置場所も、CRが目立つように、普段は画像が暗い場所、すなわち地表の凹凸の少ない場所として、公園のグラウンドを使用しています。

このようにSAR画像の特性を知り、そこに効果的に写りこむことは、「だいちの星座」の表現手法の基本になっています。

 

(大木)

合成開口レーダで絵を描く (1)なぜ合成開口レーダか?

「だいちの星座」では、地上に巨大な星座の地上絵を描き、JAXAの衛星「だいち2号」(ALOS-2)搭載の合成開口レーダで撮影します。「合成開口レーダ」は地球観測用の装置の一種で、地上に向けて電波を発し、その電波が地上に当たって反射してきたものをまた衛星で受信し、その受信波を解析して地表の画像を得るものです。合成開口レーダで得られる画像は、誤解を恐れずに簡単に言えば、電波で撮影する特殊な衛星写真です。

「だいちの星座」プロジェクトの前身である、金沢美術工芸大学の「Satellite Art Project Kanazawa」では、光学カメラによる通常の衛星画像(光学画像)も用いていました。これは人間の目や市販のデジカメと同様に太陽を光源として地表を光(可視光線)で撮影したもので、Google Earthで閲覧できる画像もこれにあたります。しかし、これでは天候が晴れていないと雲に遮られて地表が見えない*1ため、とりわけ市民参加型の制作活動には不向きであることが分かりました。一方で合成開口レーダは雲や降雨があっても電波が透過して地上を撮影でき、天候が理由で撮影できないということがありません。安心して多くの市民の皆さんを呼び込んだ制作活動が計画できます。2006年に打上げられたJAXAの衛星「だいち」(ALOS)には合成開口レーダが搭載されており、制作活動はそれを活用したものに移行していきました。

 

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「だいち」により撮影した光学画像(左)と合成開口レーダ画像(右)。両者は同時に撮影されたものであるが*2、合成開口レーダ画像(右)では雲の下の地表も見えている。2009年10月19日撮影。

 

このように、本プロジェクトは初めから合成開口レーダありき、JAXAの衛星ありきの活動ではなく、宇宙の視点から私たちを見たいというあくまで芸術的な動機で合成開口レーダ、とりわけJAXAの衛星に行きつきました*3。結果として、目に見えない電波を使って地上を可視化するという表現上のユニークさと、それが日本の科学技術文化から生まれた衛星で可能になったという点は、芸術的な意義の補強にもなっています。

「だいち」は2011年に運用を終了しましたが、2014年に後継機の「だいち2号」(ALOS-2)が打上げられ、これに合わせて制作活動も再開されました(筆者はこの段階でJAXA側の共同研究者として本活動に加わりました)。「だいちの星座」という新たなプロジェクト名は、大地に地上絵を描くことと、使用する衛星の名を掛けて付けられています。

「だいち2号」の合成開口レーダは、実際にこれまでの「だいちの星座」の制作で、地上絵を描く手段として極めて有効に機能しています。2016年8月11日(山の日)に撮影を行った「いばらきけんぽく座」の撮影では、200名以上の市民の皆様に参加いただき、茨城県北地域の全6市町に1か所ずつ反射器を設置することで、6つの星からなる全長40kmにわたる星座を構成しました。決められた日時に、これだけ広い範囲を、一度に、かつ雲なしで撮影できる手段はほぼ合成開口レーダしかありません。実際、このとき欧州の衛星「センチネル2A」(Sentinel-2A)で光学画像も取得しましたが、被雲のため地上の様子は捉えられませんでした。

 

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「だいちの星座 ― いばらきけんぽく座」で撮影された画像。2016年8月11日撮影。右は「だいち2号」による合成開口レーダ画像。左はその約1時間前に「Sentinel-2A」が撮影した光学画像だが、被雲のため地上の様子を捉えていない。
※この合成開口レーダ画像は作品化する前のオリジナルの画像であり、過去の撮影画像との差異から地上に設置した反射器を星のように抽出する最終的な作品のグラフィックとは異なります。また、両画像は分かりやすさのため反射鏡を設置した6か所の点と市町の境界線を後から書き加えています。

 

次回に続きます。

 

(大木)

 

 *1
Google Earthの画像に雲が少ないのは、多数の衛星画像から晴れた部分だけを繋ぎ合わせて作られているため。これがGoogle Earth画像の更新がまれにしか行えず、画像の取得日も場所によってまちまちになる理由の1つ。

*2
「だいち(2006-2011年)」は、合成開口レーダと光学画像センサの両方を搭載しているためこのように同時撮影で両者を比較することが可能。「だいち2号(2014年-)」は合成開口レーダに特化した衛星であり、光学画像は取得していない。

*3
合成開口レーダを搭載した衛星は海外も保有しているが、解像度などの画像の性能の良さ、いかなる地域でも早期に撮影できる観測頻度の高さ、画像の入手のしやすさ(安価または無償)を総合するとJAXAの「だいち」シリーズが最も目的にかなっている。

「写真」としての地球観測技術と芸術

「だいちの星座」は、地球を撮影する人工衛星を使い、その画像に写りこむことで巨大な地上絵を描くアートプロジェクトです。現代ではGoogleEarthやインターネットの地図サービスなどで衛星写真そのものは身近になっていますが、それらの衛星写真は利用者にとっては「知らないうちに」撮影されたもので、いつどのように撮影されたものかがあまり意識されることはありません。一方で、「だいちの星座」では衛星をより能動的に使います。衛星の撮影計画に合わせて地上で制作活動を行い、そこへ実際に衛星が飛来して撮影が行われ、参加者(アーティスト自身と、多くの市民の皆様)が「いま私たちが撮影されている!」という感覚を体験し、宇宙から私たちを見るという新しい視点を共有します。

 「だいちの星座」シンポジウム(2015年8月/アート・スペース・キムラ ASK?)で萩原朔美氏は、写真芸術の観点から「だいちの星座」は定点観測によって地上の変化を捉える活動であることを指摘しました。実は宇宙から地球を観測する技術そのものも写真芸術に端を発します。1850年代にフランスのナダール(Nadar)は気球に写真機を持ち込み、初めての航空写真を撮影しました。彼は写真家・飛行家であり、晩年には自らのスタジオを第一回印象派展(1874年)の会場として貸し出すなど美術界で活躍した人物です。一方で地球観測技術の教科書にも彼の名前は登場し、例えば「宇宙からの地球観測」(ERSDAC・編)には次のようにあります。

1858年にフランスの有名な写真家で冒険家である、フレックス・ナダール(引用者注:正しくは単にナダールと表記。本名はガスパール=フェリックス・トゥールナション/Gaspard-Félix Tournachon)は、気球によりパリの街並みを撮影し、世界で初めての航空写真の撮影に成功した。(中略)彼はパリ市内の航空写真を次々と撮影し、当時の人々に驚きを持って迎えられ、人々の都市観に大きな影響を与えた。

(関根秀真:「宇宙からの地球観測」1.3章、資源・環境観測解析センター編集/出版、2001)

このようにナダールの功績は科学技術界でも認知されているといえます。測量、資源管理、防災、環境監視など現代には無くてはならない地球観測技術の基礎が芸術家のナダールによって始められたことは、重要な示唆をもたらします。科学技術と芸術表現がその領域を拡大していくとき、両者に起こる行動には何ら違いはなく、科学技術と芸術は同じフィールドで、同じ背景や出来事を通じて発展していくものなのです。

このことを再認識させてくれるのが「だいちの星座」です。このプロジェクトは、「科学技術」と「芸術」のコラボレーションではありません。私たちがやろうとしていることは科学技術と芸術との「異文化交流」ではなく、両者のもつ共通の本質に迫ることです。ナダールの技術の延長上にある地球観測技術を用いて、ナダールの飛んだ空よりも高い宇宙から、地上で起きている変化を捉え、作品化します。そうして地球外からの新しい視点を多くの方々と共有することを目指しています。

 

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気球から写真を撮影するナダール

 

ところで、科学技術と芸術表現に共通する「写真表現技術の拡大」という功績を残したナダールですが、有名な上記の絵は「写真を芸術の高みに(気球で)上昇させるナダール」という皮肉のきいたタイトルが付けられた風刺画であり、当時の論壇からの評価を伺い知ることができます。また、街の看板が軒並み「写真(Photographie)」で埋め尽くされており、写真の流行ぶりと、それが絵画などの既存の芸術を駆逐するのではないかという当時の批評家たちの懸念も感じられます。

(大木)

みんなで描く絵

「だいちの星座」は、大勢で同時に絵を描く試みです。

絵は見るよりも描く方が楽しいと思いませんか?

星座は点で出来ています。

線は引くのが難しいですから、点で描ける星座は誰でも参加出来ますね。

文字や記号は「描く」以前に「意味」が人の行動に影響を与えてしまいますし、

絵に上下が出来てしまいますから、出来るだけ避けましょう。

星は世界中で希望の象徴です。

星の光は遠い昔のものですから、昔と今を繋げる不思議な魅力があります。

旅人が明日の進むべき方向を見定めた星座を、みんなで新しくつくりましょう。

「だいちの星座」は参加者が自分たちで描く星以外に、町の人たちの生活によって自然に描かれる星も参加しています。

この絵は同時にみんなが参加しないと描けません。

人工衛星からは見えますが、同じ位置に宇宙飛行士がいたとしても、彼からは見えません。

この絵は人工衛星から撮った写真に記録されるのでずっと大事に保管されます。

制作がつくり手に与える影響

 「だいちの星座」の活動を始める前は、光も電波も同じ電磁波だという事がよく理解できていませんでした。思い返せばこの様な基本的な科学の知識について「だいちの星座」を通じて勉強したことが沢山あります。何かを作ろうとする時に与えられる知識は重要だと考えています。

 いかなる分野においても、つくり手はその制作・製作から少なからず影響を受けるのではないでしょうか。「だいちの星座」の作者の一人である鈴木は「美術制作がつくり手に与える影響」について興味を持つ一人です。絵画に関する制作・研究を専門とする鈴木はその著書「跡の概念と美」/2000年/鈴木浩之/の中で、日常生活を過ごす自らの周囲の壁や床に残された様々な痕跡を見ることと美術作品を見ることとの共通点について考察し、物事を見ようとする意志(絵を見ようとすること)と物事の不安を解消しようとする行為の痕跡(キャンバスに塗られた絵具)によって絵画が成立すると仮定し、自身や他の絵画制作者の事例を分析しています。

 日常生活で跡は無視されますが、時間をかけてその跡を見ようとすれば、その跡がどの様な影響で付けられたのかを類推する(絶対時間とも呼べる空想の)時間が流れ始めます。鈴木は、絵画の価値が描く行為そのものにあり、作品はその行為があったことの証拠物として捉えられると考えています。鑑賞する者にとっての絵画は物語をさせる道具として機能しますが、つくり手にとっては自身の考察の断片だと言えます。「だいちの星座」の作品にはシナリオに置き換えられる様な物語が描かれておらず、展示物が並んだ部屋の中で鑑賞者はつくり手が残した考察の断片を見ることになります。鑑賞者にとっては、これらの断片を繋ぎ合わせる術が乏しいため、つくり手が考えていたことを再構築するまでには至りません。鑑賞者は、それらの断片を見ながら作者の考えには思い至らず、描く行為があったことの証拠を認識できるにすぎません。しかし、その証拠を見つけることが重要です。絵画鑑賞とは、視覚的な刺激や均衡の発見、更には物語を理解する等の(直接役に立つ)合目的的な作業がその全てではなく、人が物事を考える行為(その延長線上に「描く」がある)という尊さに敬意を払おうとする文化が支えとなっていると考えています。

 地球と人一人を直接結ぶ新たな社会認識の方法を提供しようとする「だいちの星座」プロジェクトは、完成した地上絵のグラフィックからのみ得られる情報では活動の全ては伝えることができません。「だいちの星座」の活動を紹介した展示では、電波反射器の配置場所で確かに人工衛星に向けて電波を反射させたという証拠物を見せることで、地上絵のグラフィックがつくられた現場を想像させようとしています。参加者以外がこの会場に展示された作品を見る為には、会場に掲出された数行のテキストを読むか、会場の係の説明によって「だいちの星座」を理解する僅かな忍耐と時間が必要です。「だいちの星座」参加者が完成した地上絵のグラフィックを見る際は、地上絵に描かれた白い点の下には自分たちが居り、星空に見えるそのグラフィックが電波を利用して地上を観測した人工衛星の画像を元につくられていることを知っていますから、参加者にとっては「だいちの星座」で得た経験を再構築する為の断片として機能します。

 「だいちの星座」は美術制作がつくり手に与える影響を重視しています。作品は、参加者にとっては経験を再構築する日記やポートレートの様に機能します。そして、忍耐と時間を費やした貴重な鑑賞者にとって、「だいちの星座」の多くの参加者らが考察を伴って行動した証拠を発見し、会場でその価値を測ることが出来る展示となることを願っています。