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制作がつくり手に与える影響

作品コンセプト

 「だいちの星座」の活動を始める前は、光も電波も同じ電磁波だという事がよく理解できていませんでした。思い返せばこの様な基本的な科学の知識について「だいちの星座」を通じて勉強したことが沢山あります。何かを作ろうとする時に与えられる知識は重要だと考えています。

 いかなる分野においても、つくり手はその制作・製作から少なからず影響を受けるのではないでしょうか。「だいちの星座」の作者の一人である鈴木は「美術制作がつくり手に与える影響」について興味を持つ一人です。絵画に関する制作・研究を専門とする鈴木はその著書「跡の概念と美」/2000年/鈴木浩之/の中で、日常生活を過ごす自らの周囲の壁や床に残された様々な痕跡を見ることと美術作品を見ることとの共通点について考察し、物事を見ようとする意志(絵を見ようとすること)と物事の不安を解消しようとする行為の痕跡(キャンバスに塗られた絵具)によって絵画が成立すると仮定し、自身や他の絵画制作者の事例を分析しています。

 日常生活で跡は無視されますが、時間をかけてその跡を見ようとすれば、その跡がどの様な影響で付けられたのかを類推する(絶対時間とも呼べる空想の)時間が流れ始めます。鈴木は、絵画の価値が描く行為そのものにあり、作品はその行為があったことの証拠物として捉えられると考えています。鑑賞する者にとっての絵画は物語をさせる道具として機能しますが、つくり手にとっては自身の考察の断片だと言えます。「だいちの星座」の作品にはシナリオに置き換えられる様な物語が描かれておらず、展示物が並んだ部屋の中で鑑賞者はつくり手が残した考察の断片を見ることになります。鑑賞者にとっては、これらの断片を繋ぎ合わせる術が乏しいため、つくり手が考えていたことを再構築するまでには至りません。鑑賞者は、それらの断片を見ながら作者の考えには思い至らず、描く行為があったことの証拠を認識できるにすぎません。しかし、その証拠を見つけることが重要です。絵画鑑賞とは、視覚的な刺激や均衡の発見、更には物語を理解する等の(直接役に立つ)合目的的な作業がその全てではなく、人が物事を考える行為(その延長線上に「描く」がある)という尊さに敬意を払おうとする文化が支えとなっていると考えています。

 地球と人一人を直接結ぶ新たな社会認識の方法を提供しようとする「だいちの星座」プロジェクトは、完成した地上絵のグラフィックからのみ得られる情報では活動の全ては伝えることができません。「だいちの星座」の活動を紹介した展示では、電波反射器の配置場所で確かに人工衛星に向けて電波を反射させたという証拠物を見せることで、地上絵のグラフィックがつくられた現場を想像させようとしています。参加者以外がこの会場に展示された作品を見る為には、会場に掲出された数行のテキストを読むか、会場の係の説明によって「だいちの星座」を理解する僅かな忍耐と時間が必要です。「だいちの星座」参加者が完成した地上絵のグラフィックを見る際は、地上絵に描かれた白い点の下には自分たちが居り、星空に見えるそのグラフィックが電波を利用して地上を観測した人工衛星の画像を元につくられていることを知っていますから、参加者にとっては「だいちの星座」で得た経験を再構築する為の断片として機能します。

 「だいちの星座」は美術制作がつくり手に与える影響を重視しています。作品は、参加者にとっては経験を再構築する日記やポートレートの様に機能します。そして、忍耐と時間を費やした貴重な鑑賞者にとって、「だいちの星座」の多くの参加者らが考察を伴って行動した証拠を発見し、会場でその価値を測ることが出来る展示となることを願っています。